柳町光男監督インタビュー

——『カミュなんて知らない』はどのような経緯から生まれたのですか?

「2001年度から03年度まで、早稲田大学で3年間、客員教授をやってたんですよ。“映像ワークショップ”っていう、1クラス25人くらいで、週に1回、3時間ぶっ通しで。夏休みまでは教室で溝口健二を徹底的に教えて、10月から(翌年)1月まで映画の準備をして撮影する。その3年間の経験が、この企画を生んだんです。それがなかったら、僕がこの年齢になって大学生を物語の主役にして映画を作るってことは考えなかったでしょうね」

——大学生との出逢いが映画を生んだと?

「それは(大学生たちが)面白かったからですよ。最近の若者はどうしようもないとかっていう部分はもちろんあるけれど、一方で付きあってみれば現代の若者たちの居様が見えてくるし、悩みもあるし。この時代を生きてきたわけだからね。そういうのを見ていると可愛いところもあるし、物語の舞台を大学のキャンパス内に限定して、大学のキャンパスってとても映画的な場所なんですよ。彼らがそこを右往左往しながら走り回る青春映画を作ったら、充分に今の若者たちは映画的に主役として成立すると。かといって、学生たちに擦り寄るつもりもなくて、若者が作る青春映画じゃない、僕が作るんだからそこに僕なりの視点も当然入れています」

——そこで<不条理殺人>がテーマとして呈示され、大学生たちの間に緊張や混乱が高まってゆくわけですね?

「実際の学生たちは、こういった社会的な事件は映画にはしないですね。どちらかといえば避けたいし、触りたくない。自分の意見を求められるし、自分が社会に対して、人間に対してどう思うかってことを強要されるのを嫌がるんです。だから映画の中では、教授から“これをやれ”って言われたってことになっているけれど、それは僕の狙いであって、学生たちが普通に書いた脚本を映画にするんじゃ面白くない。そのとき僕の頭の中に浮かんだのが、2000年5月に愛知県豊川市で起きた老婆刺殺事件、その(犯人の)少年が1982年生まれで当時17歳、今の大学生とほとんど同世代なんですよ。つまり、学生たちが決して望んだ企画ではないんだけど、教授に命じられて、彼らと同じ世代の人間が犯した殺人事件を映画にする。もちろん、彼らの多くは殺しまで行かないで、手前で踏み留まっている。みんなそこまでは行かない。でも、踏み留まらずに行っちゃった人と、踏み留まった人間にも共通点があるはずでね、そのことによって何が見えるのか、何が見えないかというのが、この映画のテーマのひとつですね」

——テーマといえば、『カミュなんて知らない』では過去の映画へのオマージュがあふれていますね。オープニングで入れ替わり立ち代わり現われるこの映画の主人公たち、そのうちの2人の学生が『ザ・プレイヤー』や『黒い罠』のオープニングの長まわしについて語っているその実、柳町監督が6分半の長回しに挑戦している。

「映画を作っている学生たちの話にすることによって、映画の遊びができるっていうのがありますよね。トップシーンでキャラクターを全部出すって、それは『ザ・プレイヤー』ですよ、(ロバート・)アルトマンの。8分間の有名な長回し、それをやってみようと。そういった『ザ・プレイヤー』とか、『アデルの恋の物語』とか『ベニスに死す』とか随所に、いろんなところで僕が今まで観てきた映画を引用して、パロディにしている。実際に、『ザ・プレイヤー』でオーソン・ウェルズの『黒い罠』のことを話してるんですよ。で、『黒い罠』と『ザ・プレイヤー』のことを話している『カミュなんて知らない』……パロディのパロディじゃないですか、そういった映画の遊びをたくさんやってるっていうのが、この映画のもうひとつの特徴ですね」

——ラストで、刺殺事件の再現シーンを見つめる視線が現実と虚構の狭間を交錯しますね。そこに込められた柳町監督の意図は?

「学生の撮る映画、劇中映画ですね。でも、それをそのままやったって面白くない、何かひねってみようと。ここはひとつの見せ場であって、少年が“人を殺したらどうなるか実験してみたかった”っていうのは、ずっとこの映画の根底に流れてるじゃないですか。つまり、最後にどう殺人事件を表現するか。それを劇中映画というかたちに完全にはめちゃったら、臨場感が薄れてしまう。学生の劇中映画ってスタンスを残しつつ、撮る側と撮られる側の境界を取っ払ってみようと。これも映画の遊びですね。映画だからこそできる手法にギリギリこだわってみたんです」

——それに続く、血染めの畳を学生たちが延々と拭いているエンドタイトルも圧巻ですね。

「これはまったく(この映画)のオリジナルですよ(笑)。いろんな解釈ができるよね。(ドナルド・)リチーさんは“この映画にはクエスチョンはない、人を殺したという事実があるだけだ。そういう意味では、ロベール・ブレッソンの『ラルジャン』みたいだ”って言ってたけれど。(老婆殺人事件を取材した)「退屈な殺人者」ってノンフィクションに書いてあるとおりに、起きた事件をポンと投げ出す。それが怖いわけじゃないですか。本当の少年の気持ちの中には誰も入れないんだから。「異邦人」だって、何度読んだって“太陽が眩しかったから殺した”って、感覚的には判るんだけど、理屈では判んないよね。それが謎だし、永遠に繰り返されることであって、それをカミュは一点掴まえて、60年前に投げ出したわけですよね。それが“衝撃”なんですよ」


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